ブルースにみる「理論」と「感性」の関係
こうした「理論」と「感性」の相互補完関係について、先日非常に示唆的なエピソードを聞きました。
- アーティスト: ウィーピング・ハープ・セノオ,妹尾隆一郎
- 出版社/メーカー: Pヴァインレコード
- 発売日: 1996/08/25
- メディア: CD
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「もともとブルースは、手近にあった(あるいは適当に作った)楽器を使って『気持ちいい音』を出すことから始まっている。ところがそれでは『音楽』としてカタチに残すことができないから、クラシックなどと同じような音楽理論でそれを裏打ちして現在のような形態に至った」
と言うのがあったんですね。
ブルースハープの代表的なテクニックに、蒸気機関車の音をハープでまねる「トレイン・バンプ」というのがある(ワタシも一応真似事くらいはできます)のですが、コレに代表されるように、自分の生活の周囲にある「気持ちいい音」を再現するところから、ブルースというモノがスタートしているというのです。
つまりブルースという音楽は、まず「気持ちいい」という「感性」が先にあったわけです。ところがハープという楽器は一つのキーしか(基本的に)演奏できない。当時のブルースマンはだいたい貧乏でしたから、全てのキーのハープなんて持ってないわけで、手持ちのハープ一本でセッションに参加しようとする。ところが演奏している曲とハープのキーが合わなかったらどうする?ちゃんとハーモニーにならないから「気持ちよくない」わけです。けど代わりのハープはないわけですから、じゃあ手持ちのハープで無理やり音を合わせてセッションするしかない(と言うか、そうやってでもセッションに参加したいわけです)。こうして生まれたのが、ハープビギナー最初の壁となる「ベンディング」というテクニックで、吹き方(正確には「吸い方」)を工夫することで音を下げる技術なわけです。
ここで、感性一本槍で来たブルースは壁にぶつかるわけですね。なぜ自分のハープは「気持ちいい」セッションができないんだろう?と。ここで音楽理論というヤツの助けを借りることになるわけです。なぜ自分の手持ちのハープでこの曲を吹こうとしたら「気持ちよくならない」のか。コレを理論的に説明していくことで、音楽の「気持ちよさ」に理論的な骨格が与えられるわけです。
こうして「感性」と「理論」が相互補完し合って「音楽」というモノを形成していったわけです。