今日の考察(「百貨店」の再生について)

 今日の最後のお題は、来週オープン予定のそごう心斎橋店についての考察と、そのオープンを受けて大丸心斎橋店の方針変更が必要か?と言うところだったわけですが。

 ワタシが講義の最後で発表したように、新そごうは「文化発信基地としての百貨店」と言う「百貨店らしい百貨店」を目指していると読みとったわけですが、この言葉には肯定的/否定的の両方の意味を込めています。あの場に於いては肯定的意見だけを言ったところでタイムアウトになって、続きを言えなかった(実は自分の中でも意見がしっかりまとまっていなかったので言えなかった)のですが、コレを否定的に捉えた考察をしてみます。

 昨日の日記に書いたとおり、ショップそれ自体をメディアとしてトレンドをリードし、それによって市場を開拓していくという「百貨店」の業態は、既に時代から取り残されていると考えられます。その背景には、結局のところ消費者の側が以前より遙かに容易に商品情報を得ることができるようになり、なおかつ「ユーザーニーズ」を供給者たるメーカーにダイレクトに伝えられるようになった、今日の情報化社会というモノがあるわけですが、それについては詳述しません。

 だとすると、今日の市場に於いて百貨店が生き残る道はどこにあるでしょうか?

 はっきり言ってしまえば、百貨店に於いて「見やすく買いやすい売り場」をどれだけ作ろうと、ほとんどの一般消費者はちょっとでも安く買えるところへ(少々不便でも)行きますよ。だからこそドンキホーテなんて、陳列は見にくいし店の中では身動きもままなりませんが、それでもあれだけの売り上げを叩き出しているわけです。同時に、アドバイザーとしての「プロフェッショナル」な店員もある意味不要な存在と言えます。仮にそうした専門知識が必要とされるとすれば、それはむしろ各種専門店の範疇であり(と言いながら、ヨドバシの店員あたりだとその知識も怪しいモノですが)、百貨店にはむしろ「広く浅い知識」の方が必要でしょう。
 つまり、いわゆる「一般消費者」の消費行動というモノを考えた場合、もはや百貨店の業態は時代遅れであって、「マス」市場を相手にする過去の栄光を取り戻すことはほぼあり得ないと断定していいでしょう。

 さて。それでは百貨店が想定する「コア」顧客=カスタマーとはどう言った層でしょうか?まずココをきちんと解明することが、経営戦略で言う「CS」の在りようを検討する材料となります。
 新そごうは、その建設に当たって「マチュア/シニア層」をコア顧客として位置づけていると銘記しています。このあたりの見方がどこの百貨店でも同じであろうというのは、店が違っても百貨店のフロア割がほぼ同じであることで、ほぼ間違いないと考えられます。ターゲットとなる顧客がほぼ同じで、そうした層の購買行動が似たようなモノであるため、店内配置も似たり寄ったりになると言うわけです。

 では、こうしたコア顧客層を中心とした百貨店の顧客が、百貨店に期待する「期待品質」とは何でしょうか?一般小売店にないねちっこいセールス/サービスや、「ま〓奥様、よくお似合いですわ〓」とおべんちゃらを言う店員、あるいは「百貨店」というブランドの威力を背景とした高級感や安心感と言ったところではないかと想像されます。そりゃそうでしょう。ご進物にドンキホーテの包装紙で包んだモノを持っていきますか?ドンキで買った1万円ギフトより、大丸の包装紙で包まれた3000円ギフトの方が有難味があるわけで、それが「百貨店の持つブランド力」であり、そのブランド力をバックにして顧客に与える「高級感」なわけです。こうした「高級感」や「安心感」を背景にして、かつて百貨店の屋台骨を支えてきたのが「外商部」という部署*1だったわけです。
 ただ、今日の虚礼廃止の傾向とか、企業の経費削減の流れから、外商部が百貨店の屋台骨を支える時代も終わってます。今日聞きそびれたのが「百貨店に於ける店頭/外商の売上比率」だった(このデータがあれば上記の推測を裏打ちできた)のですが、今日の百貨店マーケティングの8割が店頭でのマーチャンダイジングに置かれているという事象から推しても、百貨店に於いて外商部がその売上を支えるという構図は恐らく消滅していると思います。

 こうしたコア顧客の消費行動、及び顧客が百貨店に期待する「期待品質」というモノから、百貨店に求められるCS戦略を考えていくと、「百貨店」という業態は今日に於いては「小売業」ではなく「サービス業」であると考えるべきであろうと、ワタシは結論づけました。
 つまり、顧客は百貨店に「モノ」を買いに来るのではなく、そこでもたらされる店員のサービスであったり、「百貨店」というブランドに支えられた安心感や高級感を買いに来ているのだと考えるべきでしょう。そう言った意味で言えば「おもてなし百貨店」を標榜する大丸心斎橋店のコンセプトは、今日に於ける「百貨店」の本質をよくわかっていると思います。
 コレを言ってしまうと非常に厳しく、かつ残酷な結論となるのですが、百貨店という業態はもはや、江戸時代の呉服屋同様に時代に駆逐される旧態依然の業態に過ぎず、それでもなお「マス」市場を志向する現代の百貨店は、九分九厘消える運命にあると考えていいと思います。そう言う意味で言えば、マチュア/シニア層をコア顧客と明言しつつ、依然として「マス」顧客に訴えようとしている(ように見える)新そごうは、旧態依然たる百貨店のままであることが伺われるわけで、隣接する大丸が脅威を感じる必然性はないと断言してもいいでしょう。

 こうした推論から「百貨店」が生き残る術を考えると、端的に言えば高級品と贈答品に特化することでしょう。これらはすなわち「百貨店」のブランドパワーやノウハウがフルに生かせる土俵であることから、顧客満足度を極限まで高めることが可能なフィールドであると考えられます。それ以外の服飾品などについて言えば、「百貨店」のブランド力が活かせる商品、すなわち「コレ大丸で買うてんよ」とお話になられるご婦人などをコア顧客として、そこに特化したマーケティングマーチャンダイジングを検討すべきでしょう。彼ら百貨店のコア顧客層は、「百貨店」というブランドがもたらす高級感を買っているわけですから。そりゃそうでしょう。ワタシだって礼服用のオーダーYシャツはそごうで作りましたよ。
 そうした意味で言えば、高級感を裏打ちする道具立ても重要であり、アールヌーヴォー建築の心斎橋大丸や、昭和モダンを目指したと言われる新そごうなどは合格です。

 こうして考えると、百貨店が目指すべき「本業回帰」とは、「百貨店」の本業に回帰するのではなく、それ以前の「江戸時代の呉服屋」に先祖帰りすることと言っていいかも知れません。

 こうした側面こそが、今日百貨店が抱えている問題であり、今後この業態が生き残れるかのカギを握っていると言っていいかと思います。サービス業に企業ドメインを変化させて、高級感を売る店として生き延びるか、それとも我々が及びもつかない新しい提案を行うことで、再び小売業のリーダーに君臨するか。個人的には新そごうに後者の役割を期待したのですが、残念ながら新そごうはその期待に反するモノだったと言わざるを得ません。

*1:ワタシの父親は、某百貨店の外商部出身ですが「外商こそ百貨店の王道だ」と断言しています。ちなみにウチの両親はその某百貨店の社内結婚で、ワタシ自身も梅田の某百貨店の外商部でアルバイトした経験がありますから、ワタシの中にはかなり濃く「百貨店の血」が流れていると思われます。